家庭教師のデスクスタイル

2012年10月22日

ゆとり教育の開始

前回非行と校内暴力の増加によって学習指導要領の見直しがされた話をしました。

今回はどう見直されたかをまとめます。

見直された指導要領が施行されたのは昭和56年でした。

小学校の指導要領がこの年に施行され中学校が昭和59年に続きました。

内容はというと学習項目数を維持したまま、年間学習時間を減らしたのです。

例えば小学校6年生の学習項目は20項目あり、それを年間210時間で全て終えるカリキュラムでした。

それを項目数は20項目のまま年間授業時間を175時間に減少させたのです。

中学校でも同じで、例えば中1の数学は60項目を年145時間で終えていたものを105時間に短縮させたのです。

ゆとり教育の始まりです。

目的は生徒が勉強漬けの日々から少し開放され落ち着きを取り戻させるというところにありました。

しかし、これによって新しい問題が出てきます。

学力差の拡大です。

学習内容はそのままなのに勉強時間だけが減ったわけです。

減った勉強時間は家庭で自習をして補うという方針にしました。

しかし家庭で自主的に勉強する生徒はそう多くはいません。

結果的にこれまで以上に授業は難しくなり、
できる生徒とできない生徒の学力差は更に広まったのです。

またしても文部科学省は頭を悩ませることになります。

結局、学習指導要領は再度改訂されることになったのです。

次回はこの3回目の学習指導要領の内容をまとめていきます。




家庭教師のノーバス


posted by ボス at 18:03| Comment(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月20日

学力格差の始まり

前回は米ソ宇宙開発競争が学習指導要領に及ぼした影響を書きました。

今日はその学習指導要領が学校を取り巻く環境にどういう影響を及ぼしたのかまとめてみます。

昭和33年に施行された学習指導要領は学習内容をより難しくし、さらに学習項目を増やすものでした。

つまり質と量が同時にレベルアップしたわけです。

すると学習内容についていける生徒とついていけない生徒が当たり前のように出てきます。

学校の授業内容というのは今もそうですが積み上がり方式です。

前学年の授業内容を基礎として次学年の学習をしていきます。

なのである学年で躓くと次学年からの学習でも躓く傾向にわるけです。

そうすると徐々に学力差は広がっていきます。

そしてこの時これが顕著に現れました。

学力格差が広がった結果何が起きたでしょうか。

・・・

校内暴力です。

勉強ができないという状態は生徒にとっては大きなストレスになります。

勉強が嫌いだという生徒はほとんど勉強についていけていない生徒です。

この勉強ができないという鬱憤と勉強漬けのストレスが校舎の窓ガラスを割る等の非行と校内暴力に直結してしまったのです。

非行と校内暴力は1980年にピークを迎えました。

先生達は集団下校までするようになります。

そしてようやくメディアがこの事態を察知しワイドショーで取り上げはじめたのです。

全国のお茶の間は大変なショックを受けました。

学校はこんな酷い状態になっていたのかと。

このことは政府の耳にも届き、これでは駄目だということで学習指導要領の改訂に乗り出したのです。

昭和56年のことでした。

次回は改訂されたの学習指導要領の内容についてまとめていきます。





posted by ボス at 18:58| Comment(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月19日

宇宙開発競争が作った学習指導要領

前回学習指導要領が塾の隆盛に影響を及ぼしてきたということを書きました。

今日から学習指導要領の変遷をまとめていきます。

学習指導要領は昭和22年から試案という形でスタートしました。

最初は各先生の裁量に拠る所が大きくまだまだ本格的導入には至りませんでした。

これが本格的に教育基準として広く全国の学校に適用されたのは昭和33年です。

昭和33年に小学校と中学校で施行され昭和35年に高等学校で施行されました。

この時期に学習指導要領がまとまったのはある出来事が関係してあります。

それは米ソ間の宇宙開発競争です。

宇宙開発競争では衛星をどちらが先に打ち上げることができるかを競った大国同士の威信をかけた
戦いでした。

そして1957年、最初に衛星を打ち上げたのはソ連でした。

アメリカの敗戦はスプートニクショックとして歴史に刻まれたのです。

スプートニクとはソ連が打ち上げた衛星の名前です。

アメリカはその後ソ連が宇宙開発競争に勝った要因を調べ上げました。

そしてその最たる要因が英才教育によるものだと判断したのです。

ソ連は超エリートを育て上げるための教育課程を整備し理系の優秀な人材を続々と誕生させていたのでした。

そこでアメリカも学校教育の内容を抜本的に見直したのです。

そしてこれを模倣したのが日本でした。

学習内容を格段に難しくすると同時に、学習項目も増やしたのです。

かくして昭和33年に施行された学習指導要領はそれまでの学校教育を一変させるものとなったのです。

次回はこの学習指導要領が社会に及ぼした影響をまとめます。




ラベル:学習指導要領
posted by ボス at 14:20| Comment(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。