家庭教師のデスクスタイル

2012年10月19日

宇宙開発競争が作った学習指導要領

前回学習指導要領が塾の隆盛に影響を及ぼしてきたということを書きました。

今日から学習指導要領の変遷をまとめていきます。

学習指導要領は昭和22年から試案という形でスタートしました。

最初は各先生の裁量に拠る所が大きくまだまだ本格的導入には至りませんでした。

これが本格的に教育基準として広く全国の学校に適用されたのは昭和33年です。

昭和33年に小学校と中学校で施行され昭和35年に高等学校で施行されました。

この時期に学習指導要領がまとまったのはある出来事が関係してあります。

それは米ソ間の宇宙開発競争です。

宇宙開発競争では衛星をどちらが先に打ち上げることができるかを競った大国同士の威信をかけた
戦いでした。

そして1957年、最初に衛星を打ち上げたのはソ連でした。

アメリカの敗戦はスプートニクショックとして歴史に刻まれたのです。

スプートニクとはソ連が打ち上げた衛星の名前です。

アメリカはその後ソ連が宇宙開発競争に勝った要因を調べ上げました。

そしてその最たる要因が英才教育によるものだと判断したのです。

ソ連は超エリートを育て上げるための教育課程を整備し理系の優秀な人材を続々と誕生させていたのでした。

そこでアメリカも学校教育の内容を抜本的に見直したのです。

そしてこれを模倣したのが日本でした。

学習内容を格段に難しくすると同時に、学習項目も増やしたのです。

かくして昭和33年に施行された学習指導要領はそれまでの学校教育を一変させるものとなったのです。

次回はこの学習指導要領が社会に及ぼした影響をまとめます。




ラベル:学習指導要領
posted by ボス at 14:20| Comment(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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